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眠れないので書く

研究者見習い

研がない強がり

この時間に聴く「夜を駆ける」以上の曲を私は知らない。吸い込まれるようなイントロが流れてきた途端、思考が停止してしまう。

しかしながら「夜を駆ける」が好きだと断言するとき、「(それでも私はやっぱりよくある赤い糸がいいです)」と心の中で補足してしまうあたり、歳を感じるような陳腐な幼さを感じるような複雑な気持ちになる。

スピッツの刹那的で壊れそうなことばは芸術的な美しさを感じさせるけれども、その世界観に心酔するには私は歳を取り過ぎているしまた同時に未熟すぎる。

私は一瞬の脆い輝きよりも、くすんだ温かい安寧に憧れる。研究者には、向いていない…かも…。(冗談)

タイトルはもちろんスピッツ「夜を駆ける」より。夜勤と日勤を行ったり来たりする日々がもうすぐ終わる。

鉛色に輝く

iPodを使い始めてしばらく経ったのでトップ25を見てみたら

1醒めない

2ナサケモノ

3放浪カモメはどこまでも

4アカネ

5コメット

6ブチ

7初恋に捧ぐ

8聞かせてよ

9どんどどん

10田舎の生活 (LOST IN TIMEによるカバー)

11HOLIDAY

12たまご

13君と暮らせたら

14花の写真

15ヒビスクス

…となっていた。「醒めない」収録曲が多いのは「醒めない」を連続再生にしたままの状態でiPodを病院のロッカーに半日放置していた日があったためだと思われる。しかしその半日にランキングが影響を受けてしまうということは、まだ聴き込みが足りないのではないかと推察される。正確な順位を出すためには1年くらい待ってみる必要がありそうだ。

実験の結果・考察・今後の方針みたいな文章になってしまった。これだからラボ畜はだめだ。

タイトルはスピッツの「魚」より。もともと大好きな曲なのだが、なぜだか今日はいつになく沁みたから。

春休みが終わってしまったので、明日も病院と研究室をせっせと往復しよう。

 

 

眠れない夜更けに

親しい人にとって自分が交換可能な存在であるかもしれないと思うのは非常につらい。
しかしそれは常に、一面的には真実だ。どんなに仲が良くても、そのときにはかけがえがないと思っても、ふとしたことで疎遠になり、結局他人になってしまうことはいくらでもある。というかそういうことばかりな気がする。

今大切な人達に対して、そうならないことを願い、努力することが何より大事なのは言うまでもないが、その現実を突きつけられたときに壊れないように日々鍛練することも重要だなぁとふと思う。誰かにとって価値のある人間であることを生き甲斐にするのは危うい。一人で楽しく打ち込めることを自力で探し出さねばと思う。結局人は独りぼっちから逃れられない。

タイトルはスピッツの「幻のドラゴン」より。
水を一杯飲んで飛び出したい気分ではあるが、外は凍えるほど寒いし明日も朝から手術見学である。
駄文を書き連ねたところでいい加減寝よう。

足りないもの自問して

二つ以上のことに没頭できたら、それは没頭とは言わないのだろうか。

日が昇る前に起きて、お弁当作って家を出て、カンファに出て時に爆睡し、カルテを書き勉強しオペを見学し、日が沈むころ研究室に向かい、実験をし解析をし帰宅しお弁当箱を洗って寝る。

得るものは日々あるし、周りの人たちにも恵まれて楽しい毎日ではある。しかしやはりどう考えても、全てが中途半端である。

考えることをあきらめないことが肝心だ…

 

久々に無駄な夜更かしをしているのでスピッツ関連で何か書こうと思ったのだが、忘れてしまった。とりあえず30周年記念ツアーには何としてでも行きたい。

10月くらいによく聴いていた「あかさたな」を最近またリピートしている。「ずっとそばにいるから ベイビー」というスピッツらしからぬ?歌詞が妙に印象に残る。いつかアルバムに入れてくれないかなぁ。

タイトルはスピッツの「ブチ」より。好きすぎてまたタイトルに採用してしまった。

好きだよすごく~♪

 

 

悲しい話は消えないけれど

結局、何もかもフェイクに過ぎない。君も、君との関係も。しかしそれでもいいから今この瞬間は君のそばにいたい。…というのがスピッツ「フェイクファー」の境地であると私は思っている。

一方「運命の人」は対照的だ。「君は運命の人だから」と言い切り、そして「このまま…君となら…」と口ずさむ。不思議だなぁと思っていた。

しかし最近になって、この謎の前向きさには悲しいほどの切実さが秘められているのではないかと思い始めた。フェイクであるということを身にしみるほど理解していても、それでもなお君が運命の人だと思いたい、思わずにはいられない…。

そう考えると、バスの中で人生の意味(フェイク)を悟った主人公(?)が「でもさ」といって君の手を強く握るというのは何とも感動的に思える。単にこの曲は人生の楽しい側面を抜き出してきたのではなく、どうしようもない悲しみが存在することを踏まえた上でそれでも明るく生きようとする気概を語っているのではないかという気がするのだ。タイトルにした「悲しい話は消えないけれど」というフレーズに妙に説得力がある。

 

ということをぼんやり考えている内に11月も終わりに近づいてきてしまった。某試験まで一ヶ月切ってしまったので、実験を進めつつも試験勉強に本腰を入れていかねば。

頑張ろう…。

 

 

から回る頑張りで許されてた

やれやれこんな時間である。この数ヶ月で唯一評価できることと言えば実験の手を休めなかったことだと思うのだが、それが裏目に出つつある今日この頃となっている。すなわち、忙しい中ガリガリ実験する→解析が追いつかない、結果の吟味・解釈が十分にできない→実験計画がいまいちになって無駄が増える→もっと忙しくなる→疲れる・眠い→ミスも増えてますます実験がうまくいかなくなる、という状態が生まれてしまっているのだ。これに年末の某試験への漠然とした不安が重なって、やたらと焦燥感に襲われている。

 

落ち着かねば。

 

まずは解析をちゃんと終わらせる!

そしてQBをこなす!

優先順位を明確にして明日も(今日だけど)頑張ろう。

全然関係ないのだが、スピッツの「運命の人」がアルバム「フェイクファー」に入っている意味について最近ちょっと考えていて、まとまったらここに書こうと思ったのだが、あまりにも眠すぎて諦めた。要は「運命の人」は最高だってことである(雑)

タイトルはスピッツの「ありふれた人生」より。現実はこわい…しかし頑張らなければどうにもならない…。から回ってもいいから必死に粘り強く耐えるべし。

僕が君に出会ったのは冬も終わりのことだった

気がつくと10月も終わりに近づき、冬のような寒さになった。

移ろいやすい季節同様、人生も何が起きるか分かったものではない。しかし、どんなに忙しくても、どんなに錯乱していても、どんなにいっぱいいっぱいでも、考えることを諦めないようにしよう、と思う。

タイトルはスピッツの「ヒバリのこころ」より。強く生きていこう…。